訪問介護ぱれっと

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四十九日法要あっという間にに父が逝ってから1カ月半。専門分野を超えるとこんなにも言葉が見つからないものなんですね…投稿が途切れてしまったのは悲しみに暮れているとか傷心とか…そういう事ではなんです。親が死ぬ、という事は本当に大変!悲しんでいる...
15/11/2017

四十九日法要

あっという間にに父が逝ってから1カ月半。

専門分野を超えるとこんなにも言葉が見つからないものなんですね…
投稿が途切れてしまったのは悲しみに暮れているとか傷心とか…そういう事ではなんです。

親が死ぬ、という事は本当に大変!
悲しんでいるのなんて直後の2時間くらいなもんで、後は怒涛の日々です。
葬儀1つにしても決め事が沢山!
うちの場合は18時に亡くなったので20時前には葬儀屋さんとの打ち合わせ。
翌日のからは親戚への連絡やら訪問者の対応、電話の嵐。
とにかく葬儀が終わるまでバダバタバタバタ…😅
今回は父方のいとこの結婚式が葬儀の2日後にあったもんだから大阪⇄東京を集団大移動。
その間娘の運動会があり延期になって新幹線遅らさたりなんだり…😩

結局四十九日法要が終わるまでなんやかんや慌ただしい毎日でした。
「後でドッとくるよー」とよく聞く言葉ですがなるほど、こういう事ですね。

人が死ぬという事は大変な事なんですね…先も後も。
そして…本当に現実的な話ですが、死ぬのってお金がかかるんだな…って事も分かりました。

まとめ。
親との死別はやる事が沢山ありすぎて悲しみに浸るヒマ無し。だった今日まで。
後からジワジワ来るのかな…。
あまり父親にベッタリじゃなかったからこのままかな😅

遠く離れていてもベッタリ仲の良い親子、同居や近くに住んでいる親子、特に母親ね。気持ちが近ければ近いほど親との死別は辛いです。
でも誰にでも必ず起きる事だから。
死をタブーにせず前向きに、子供の私達が未来の計画に組み込んで、出来る限りの心と体制の準備しておく事をオススメします。
今、自分が子育て真っ最中だから思う。
大切に大切に形は違えど一生懸命育ててくれた親への最後の恩返しは子供の私達がすべき事。
ありがとう…の気持ちを込めて!

そうそう。利用者さんに
「お父様が生きてるうちに“ありがとう”と言うんだぞ」と言われ照れながらもストレートには恥ずかしくて言えませんでしたが、それらしき事を伝えました。

言って良かった!!!

生きているうちに言葉にして感謝を伝えて下さい(*´-`)

02/10/2017

9月30日土曜日
朝7時に母から電話があり、朝起きたら父の様子がおかしい、と。
父の容態ももちろん心配だが日頃クールな母が珍しく慌てているのでそっちが心配に。
私より近くに住んでいる兄にすぐに品川へ向かってもらう。

14時頃私が着くと父はいわゆる昏睡状態。
とはいえ眠り込んでいる訳ではなく、目を開けているが焦点が合わない、呼吸は体全部を使っての呼吸。
話しかけても反応無し。
黄だんからの皮膚の痒みが強く手を一生懸命動かしている。
10時にドクター訪問。父の弟が明日大阪から来るという事で、そこまで繋ぐ為500ccの点滴を。
痒みに効く薬は無く、気休めにしかならないがステロイドを点滴にて。

とまぁこんな感じ。
13時半、私も到着。
変わり果てた父の姿を見て私も涙が出ました。
なす術もなく熱いタオルで顔や体を拭き、口を潤してあげて体の向きを変えて、摩ってあげる。
痒みだけは取れず痒そう…
可哀想なので、医療麻薬の舌下錠で眠らせようとするも眠口内が乾燥しているので、薬が体内へ入って行かずなかなか効いてこない。
無意識で痒そうに手を動す…
黄だんからの痒みは特効薬が無く、眠らせるしかない、との事。
舌下がダメなら貼る薬が1番麻薬の中でも弱い物なので、1段階あげて貰えないかドクターへ電話を入れる。
ドクターの返事は、呼吸が浅いので強い麻薬を使うと呼吸も止まってしまう恐れがあるので…
との事でした。
痒い所をソッと掻いてあげたり温かいタオルで顔や手を拭いてあげたり摩ったり…。
そんな事しかできませんでした。

17時過ぎ。
中学校からの親友タンちゃんが来訪。
まさかこんな危篤状態になってると知らずの訪問で、タンちゃんただただ驚き。
父がたった一つ終わっていなかった終活の書類の整理。そしてその心残りだった件の整理を一緒に行なっていたタンちゃん。
父に「ワッチョン!(父のあだ名)ワッチョン!例の件は俺が片付けておくから安心しな。大丈夫だから。安心して大丈夫だから!」
と言うとなんと、2回頷いた父。
もとい、頷いた風に見えた私とタンちゃん。
おーおー頷いた!なんて言いながらベットの横で世間話してると…
ん???呼吸してない。
慌ててタンちゃんと私で「おーーーい!息をして!!」と叫ぶと、父は思い出した様にフワァ!と吸う。しばらく「息をして!」と叫ぶ、フワァ!
様子を見ているとまた呼吸が止まる…
おい!おい!ワッチョン息をしろ!とタンちゃん。
別室で電話している母を呼び、母も声をかける。
一旦帰った兄に電話。早く戻ってー!と。

兄が来るまで頑張れー!と言いつつもう頑張らせたくなけど!!と母。
5分位かな…そんなこんなで
「もういいよ。ゆっくり休んでね」
という母の一言で
9月30日土曜日18時
父は眠るように逝ってしまいました。

脈も触れず呼吸も停止したのを確認してドクターへTEL。
18時50分ドクター訪問で死亡確認となりました。

せっかちな父らしい最期!!
まさかの在宅6日間でした。

ホスピスからの私なりの総括など投稿しようと考えていたのに、そんな間も無くどんどん進み…
まぁまぁ本当に父らしい。

そして…
亡くなった後の忙しさったら!!
この事は「ぱれっと」の投稿としては違う分野になってしまうと思うのだけど、やはり知っておいて損はない。
そう思うので、実家品川への道中のんびりアップしていけたら…と思います。

取り急ぎ…今日までの沢山の「いいね👍」励ましメッセージ、コメント、美味しいパンの差し入れ🍞などなどありがとうございました!
父の最期に関しての投稿、賛否両論あったかと思いますが私的には、必ず訪れる親の死を少しでも落ち着いて受け入れられるように…という意図での投稿でした。

30/09/2017

9月30日土曜日

今朝7時に母から電話があり父がどうも昨日と様子が違う、と。
水分をスプーンであげても2、3口しか入らず後は口を閉じてしまうそう。
母が「私誰だか分かる?」と聞くと、目は開けるがウンともスンとも反応無し。
呼吸はやや荒め、との事。

父は緊急を要する訳ではないが、あまりの進行の速さに母がついて行けず、珍しくクールな母が泣いていて少し取り乱していました。
不安が一気に襲って来たような…
一人にしておくのは可哀想なので兄に電話してすぐに向かってもらいました。
と同時に母へは主治医の先生へ連絡してもらい、10時半頃来てくれるとの事。

私はと言うと、これから来週娘の運動会、従兄弟の結婚式、息子の運動会と目白押しのスケジュールに備え車検やら美容院やら予約していたので、車検の車を取りに行き、さすがに美容院は…と思ったが言い出したら聞かない娘だけ切ってもらい今、実家ヘ向かってます。

72歳、、、はやっぱり細胞も若いのかな。
高齢者の終末期を沢山見て来たけどここまで進行が速いのは、さすがに私も驚き。
早かれ遅かれ同じ事にはなるのだけど、やはり在宅は病状の進行と共に主たる介護者の心の準備も必要で、母は全然状況に気持ちが追いついていない。
さてどうしたものかなぁ…と考えながら電車にゆらゆら🚞

30/09/2017

9月28日木曜日

木曜、金曜と仕事が抜けられず実家ヘは朝晩の二回の電話にて。
この日の午前中の父はぼちぼち…といったところみたい。
もう医療麻薬は使っていて、今父が使っているのは貼るタイプのもの。
相変わらずコーラと氷、少しのアイスという食事形態。
午後には訪問医療の往診。
診察中苦しくなり、とんぷくで処方されていた舌下錠(舌の下へ入れて使う薬)これもまた麻薬なのですが、一錠服薬。
しばらくして眠ってしまったそう。
その後ずっと眠り続けているよう…

9月29日金曜日

午前中にコーラ、お豆腐二口、氷を食べてまた苦しい…と。
昨日舌下錠一錠で効きすぎたので看護師さんと相談し1/2錠を服薬。
母は用事があり父の親友ムータンがお留守番に来てくれました。
お留守番の間、父はずーっと寝てたそう。
夕方、私も気になり電話を入れその状態を聞き、褥瘡(床ずれ)が心配になりました。
動かず、寝返りもうたず、痩せた人が寝ているとすぐに床ずれが出来てしまいます。
床ずれとは骨など硬いものがある場所に集中して体重がかかる事によって、皮膚、肉が赤く炎症し壊死して骨まで穴が空いてしまいます。
痛みも伴います。
念のため尾骶骨の辺りを見てもらうと、やはり赤くなっている、と。
母にすぐケアマネさんに連絡入れてもらい、ベットマットを柔らかいエアーマットに交換してもらえるか問い合わせ。
床ずれは出来てしまうと治すのが本当に大変なので気をつけないといけません。
栄養状態が悪いと一瞬で出来てしまいます。

そんなこんなで18時頃福祉用具の方が来てマット交換してくれる事になりました。
ベット、ベットマットなどの体に合わせた交換は保険を使って何度でも交換です。
交換自体は無料でマットやベットによってレンタル料が異なります。

父はこの2日でまたグンと進行した様子。
たった2日行けないだけで心配はグングン膨らみます…。

9月27日水曜日この日の父は月曜日に比べ口数少なめ。退院して点滴を止め、頑張って口からの水分補給をしています。腹水、浮腫みの増加は止まっています。ですが…🙄コーラを体が受け入れるようで1日4本ペースで飲んでいると!昨夜の血糖値は400😅😅😅...
29/09/2017

9月27日水曜日

この日の父は月曜日に比べ口数少なめ。
退院して点滴を止め、頑張って口からの水分補給をしています。
腹水、浮腫みの増加は止まっています。
ですが…🙄
コーラを体が受け入れるようで1日4本ペースで飲んでいると!
昨夜の血糖値は400😅😅😅
まぁ…今は血糖値云々言ってる場合じゃないからインシュリンでコントロールしつつ、経口摂取できる物はなんでもいきましょう!
毎日氷をゴリゴリ食べていましたが、ガリガリ君も体が受け入れるようです。

父の症状を見てると妊娠時の症状にとても似ている事に気がつきました。

○味覚が凄く敏感になる
○氷ガリガリ
○むくみ
○特定の物を食べたくなる
○匂いにも敏感
他にもあったような…

動き的にはトイレへ人口膀胱に溜まった尿を捨てに行くのですがトイレまで歩くのもやっと。
寝返りうつのもやっと…といった様子です。

そして私がどこにお遣いへ行くにも徒歩だったので電動自転車レンタルしようと調べていた私に、母が「私も乗れるかしら?」と。
それを聞いていた父が電動自転車買ってあげる、と私に!
母へのプレゼントなのかもしれないなぁ。。。
そのうち一人になる母がもっと自由に動けて楽しい日々を過ごせたらいいな…と思いながら、ちょっとおしゃれな可愛い電動自転車ゲットしました👌

9月25日月曜日無事お引越し完了しました👌腹水がポンポンで座っているのもキツい父に民間救急車(介護タクシーhttps://kotobank.jp/word/%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82...
27/09/2017

9月25日月曜日
無事お引越し完了しました👌
腹水がポンポンで座っているのもキツい父に民間救急車(介護タクシーhttps://kotobank.jp/word/%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC-1725788 .97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29)をすすめましたが、父の高校時代?の親友ムータンの車で帰る!と父。
そのムータンも「なべちゃん俺の車で帰るって言うんだよぉ😋」と嬉しそうに。

そんな訳でジジババにお引越しは任せて私は帰宅してからの準備へ。
自家用車の45分、父が想像していた以上にキツかったようでマンションに到着して、自力で車から降りる事が出来ませんでした。
車からすぐ車椅子へ乗り換えてお部屋へ。

しばらくはリビングにドーンと置かれたベットに違和感と疲れからしばらく無言。
その間に私達は和やかな昼食🍴
私の予想では、ついつい病人を前に遠慮してしまう事が多いがその和やかな声も空気もまた一つ患者の気持ちを穏やかにする要素じゃないかな…と思います。
至って自然の流れで…生活音を聞きながら…。

そのうち父も覚醒。
あれやこれや気になり出した様子で、大学コーラス部時代の友人から届いた50年前の音源!
これを聞きたいとの事で、あれやこれやオーディオの使い方が分からないジジババ達がテンヤワンヤ😆
それを指示する父も病院よりもはるかに大きな声で顔も生き生き。
ムータン曰く
「なべちゃん全然病院と違うね…顔も声も空気も全部違うよ」と。
なんと父25歳、母23歳の歌声を聴いてしまった。
なんだかジーン😢としちゃう父でした。
母のソロパートなんてあったりして!

うんうん、そうそう。
やっぱり家がいいよね。
帰って来れた父は本当に幸せです。
私の仕事、本当にいい仕事。
これだから辞められないんだよね😊

お父ちゃんおかえりなさい🤗

9月24日日曜日今日は備品を買いにイケヤとビックカメラへ。イケヤでは人口膀胱のパウチやガーゼ、糖尿の血糖値測定器や注射の品々、薬や血圧計、体温計など細々した物が収納できる棚を買いに。苦手なイケヤで心も体も疲れ果て。ビックカメラでは空気清浄機...
25/09/2017

9月24日日曜日
今日は備品を買いにイケヤとビックカメラへ。
イケヤでは人口膀胱のパウチやガーゼ、糖尿の血糖値測定器や注射の品々、薬や血圧計、体温計など細々した物が収納できる棚を買いに。
苦手なイケヤで心も体も疲れ果て。
ビックカメラでは空気清浄機など諸々を買って、実家で組み立て…
介護ベットも入りとりあえずは準備OK👌

今日の父担当は兄にしてみました。
な、何したらいいの?💦といささか照れ臭そうでしたが。
父は兄に水素自動車の試乗に行かせたようで。

。。。まだ運転する?
車に乗る気満々な父です😅

9月23日土曜日主人、義姉は品川の実家へ向かい介護ベット搬入に伴い部屋の模様替え。と、平日毎日病院で父に付き添っている母は家で現場監督😊ゆっくり休んでもらいます。👌ソファーを動かしたりテーブルをどかしたり。また、一部屋キッズルームを設置!使...
24/09/2017

9月23日土曜日
主人、義姉は品川の実家へ向かい介護ベット搬入に伴い部屋の模様替え。
と、平日毎日病院で父に付き添っている母は家で現場監督😊
ゆっくり休んでもらいます。👌
ソファーを動かしたりテーブルをどかしたり。
また、一部屋キッズルームを設置!
使って無いテレビ、プレステなどをセッティングして、親に費やす時間を稼ぎたいところです。

そして私は手薄になってる父の付き添い。
腹水と喉に転移したガンの影響で一食がぶどう4個程度になってる父に、お昼と3時に食べれそうな物を冷蔵庫から出してあげる、重大任務です。
少量しか一度に食べられない場合は赤ちゃんと一緒!
何回にも分けて食べて1日のトータル摂取量を増やします。

今日は40年来の付き合いのヤクちゃん、お見舞いに来てくれました。
ご近所のマッサージ師さんです。

さーて。
明日日曜日は父の介護で使う用具や人口膀胱のパウチなど看護用品を入れる棚を買わなくちゃ!
訪問医療、看護、介護…色んな方が入るので、毎回ある場所を聞かれると母が大変!!
なので、一箇所にまとめておくと皆んなが分かりやすいですねー。
明日も頑張るぞー💪

9月19日火曜日朝1番でホスピス(日本赤十字病院http://www.med.jrc.or.jp/hospital/clinic/tabid/131/Default.aspx)に連絡。やはり混んでいるようで最初の家族面談も早くて10月半ばと...
21/09/2017

9月19日火曜日
朝1番でホスピス(日本赤十字病院http://www.med.jrc.or.jp/hospital/clinic/tabid/131/Default.aspx)に連絡。
やはり混んでいるようで最初の家族面談も早くて10月半ばとの事。
そこから順番に入院となるようです。
そりゃそうだよな…と思いつつ他にも2、3ホスピスを調べておいたので母にどうするか連絡すると、もうホスピスはいいから在宅で行こう!との事。気持ちは前向き。
一応調べたホスピスを貼付しておきます。
(川崎私立井田病院http://www.city.kawasaki.jp/33/cmsfiles/contents/0000037/37855/ida/care-center/kanwa.html)
(東芝病院http://www.toshiba-hospital.jp/clinic/medical/list_22_4.htm)

夕方、訪問医療専門でやっている
「医療法人社団悠翔会http://yushoukai.jp/」へ連絡しました。
30分くらい電話面談。
父の病状よりも在宅に戻す事になった経緯など家族側の心理を深く聞かれた印象でした。
そして父を受け入れてもらえるかは医師と相談し明日の朝、可否の連絡をしますとの事。
すぐには分からないんだ…
そりゃそうだよね…
在宅看取りの事を知らなければ、そして信頼関係が出来上がるまでの時間が足りない場合は人の生死が関わる事だから、下手したら訴訟問題になり兼ねない訳で。
なるほどな…と大いに1人で納得。勉強になります。

9月20日水曜日
朝1番で悠翔会から連絡ありました。
受け入れて下さるとの事!良かった…。
さてここからはフットワークの軽さと決断力がが大事。
この日の午後、クリニックの相談員の方が面談出来ないか、との事で14時に実家で会う事に。
この日の午後なら空けられる、と相談員の方には昨日のうちに話しておいたので良かった。
クリニック相談員、
セコム訪問看護http://www.nurse-
secom.com/sp/
私、母での初回面談。
クリニックの体制、ナースの体制、医療保険と介護保険の説明、そして在宅看取りのあり方など、本当に迅速に分かりやすく、母も安心出来るような説明でした。
今父が入院している病院の退院サポートの方との連携で退院までの大まかな流れと介護用ベットの搬入日などの日取りをザックリ決めました。医療面では私達は抜きでクリニック、看護、今の病院とで話して下さるそうです。
初回の往診は25日月曜日、退院も月曜日予定。
その前の土日でベット搬入などの体制を整える予定となりました。

日本赤十字社医療センターは、赤十字精神「人道・博愛」に基づいて、皆さんが生き生きした日常生活が送れるように、病気の予防から早期発見、不幸にして病気になったらその治療、さらには社会復帰まで、健康について一貫した医療活動を行なうところです。

20/09/2017

経緯を簡単に…
1年半前に父は血尿にて膀胱癌が発覚。
ちょうど去年、ダビンチというロボットを使ってのオペにて膀胱全摘出し人口膀胱を設置。
その後数回の抗ガン剤治療、オペ後の傷の痛みで苦しい数ヶ月を病院で過ごしました。
まだ消えぬ癌にドクターは再度抗ガン剤治療を進めるも、父は
「それで癌は完治するかもしれないが自分がもたない…自分が虫の息となり瀕死の状態でも癌が消えていればその治療は成功!となるだろう」
とまぁ半ば逃げるようにH28年年末退院。
その後自分で調べ、全て自分の意思で
・遺伝子治療
・点滴の抗ガン剤
・基本検診
あとは色々やってたみたいだけど、どうぞお好きにー、と好きにやってもらいました。
今年8月から熱が上ったり下がったり…
ですがゴルフは100切ったよ!なんて絶好調。
H29年9月10日、前日より身体が思うように動かず、ロレツも回らず。緊急入院。その時血糖値が580以上もあったそう!
ちなみに血糖値の平均値は100前後。
メーター振り切りの数値に思わず笑ってしまったくらいです。
10日〜15日まではまぁそこそこ元気だった様子。

9月16日土曜日、私がお見舞いに行きたまたま人口膀胱のパウチを交換するのでシャワーへ入ろうと上半身裸を見ると…ん?
お腹がポコーンと出ていました。
腹水だ。。。
この時はじめて私は「急がねば…」と気づいた訳です。
腹水は癌末期の症状の1つでお腹に水が溜まり胃や食道を圧迫し食事を摂れなくなります。
よって急激に体力低下します。
あと1、2ヶ月…か⁈ そう思い、その場ですぐに兄と母に連絡を取り、なんと偶然にも翌日に家族会議開催が出来ました。

9月18日月曜日、まずはお見舞いに病院へ。ナースへ父の状態を聞くと別室にて今後の話を家族としたかった、との事。
もしホスピスや自宅へ動くなら今しか無いと思う、とハッキリ伝えて下さいました。
私もそれを聞き改めて進むべき方向を意識しましました。
父に残された選択肢
・現病院の緩和ケアを受けながら病院に残留
・ホスピスへ転院
・自宅で在宅医療
(※父はもう抗ガン剤治療はしないと決めています。ここで少しでも改善したい、治療したいという意思が少しでもあればそれを尊重するのも1つです。)
この3つとなる訳で、要するに最期の場所をどこにするか、という事です。どの選択をしたとしても主たる介護者は母。決断は母がすることになります。
何気なくやんわり父にそれを聞いてみました。
と、父は2度聞いても答えは無しでした。

実家にて兄と母と私の3人で家族会議。
3人で会うのなんて初めて!
なんだか少し照れ臭い…。
兄と母はもちろん腹水の事は伝えるもまだまだ父は生きていると思っています。
そこからの説明で2人共びっくり。まさかの展開だ、と兄。
昨晩プリントアウトした自宅に近いホスピスと在宅医療の資料を見せ3つの選択肢を母に話しました。
結果、とりあえず連休明けの明日ホスピスに電話し空いてなければ在宅で、という事に決まりました。自宅に父を連れて帰ると決めた時の母は
「ここにベット置いて、宝物のオーディオで音楽聴かせて馴染みのマッサージ師さんに来てもらって…」ととても良い顔をしていました。

住所

神奈川県
神奈川県
248‐0032

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