23/11/2025
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「乾いた葉から液体を取るように、砂漠から水を探すように、それがまさに哲学である。」
と、ムケーシュ先生のお言葉が沁みる。
哲学のまとめのつづき・・・
▲アルジュナは、"私はあなたの弟子です"という。
△私たちは、"私はあなたの先生です"という。
//その違いとはなにか?//
▲アルジュナは、"先生"としてクリシュナを選んでいない。
「私(アルジュナ)はあなた(クリシュナ)の弟子で、私を認めるか認めないかはあなたが決めてください」と。
【Surrendering】全てを捧げる、という献身があるかどうか、それがアルジュナと私たちの違いである。
“Surrendering is one of the beauty of spiritual path.”
△最近の生徒(私たち)は、自分自身のことも信じているため、師匠や先生に完全にひれ伏すということが難しくなっている。それなのに、私たちはすぐ、正しい方向性を知りたがり、答えを知りたがる。私たちはGuruの道しるべに、ついていく準備ができていないのにも関わらず。
▲アルジュナは、わたしはあなたに正しい道を示してほしいのではなく、ぜひあなたについて行かせてほしい、共にその正しい方向へと歩いていきたい、という。
△私たちは先生に、自分をいい生徒にしてほしいと期待する。
▲アルジュナは、献身を持ち、まず自分が弟子になる。
◎必要なことは
→聞く力を持つこと
→聞いたことを実践する力を持つこと
そうすると、いい生徒になれる。
勉強することは簡単であるが、そのことに献身的に栄養を注ぎ続けることは難しい。
まず、生徒になりましょう、
そしてそれから、先生を探しましょう。
どんなに先生を探していても、自分が生徒としての姿勢やあり方を持てなければ、意味がないのです。
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先週の哲学から、今週もそのお話の復習で、より理解が深まり自分の中でそのお話の輪郭が濃くなる。
私たちは、現代より即物的に利便的になってきていて、さらに本質的でもなく表面的にもなりつつある。
簡単にインターネットで調べられて、AIがなんでも代わりにやってくれる時代。
でも、果たして。私たちが歩むべき道はそれで良いのか。そんなに簡単に答えらしきものが手に入る(ような気がしている)ことでいいのか?
自分で思考し、そしてその思考を続けること、ちゃんと人の話を聞くということが、わたしも大切だと信じているし、そうありたいと思っている。
この、 jiのお話は奥深く、まだまだ全然自分の理解は足りていないけれど、でも、ひどく考えさせられて胸を打たれました。
いつもありがとうございます🙏
哲学クラスには、スタジオにMatajiとMintu ji もいるということも、オンラインでもじわじわと嬉しみを感じる。
なので、インドでの写真を🇮🇳💛