[漢方専門] 普照 小川医院

[漢方専門] 普照 小川医院 東洋医学専門医院_漢方薬(湯液中心)と鍼灸で治療します。

◎診療内容
1)不定愁訴(「頭が重い」、「イライラする」、「疲労感が取れない」、「よく眠れない」などの、何となく体調が悪いという自覚症状を訴えるが、検査をしても原因となる病気が見つからない)
2)漢方全般(婦人科疾患・不妊症・アトピー性皮膚炎・にきび・リウマチ・膠原病など)

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◎診療時間
漢方:火木金土-午前10時から12時30分
鍼灸:火木金土-午前10時から12時30分、
        午後2時から6時
   

07/12/2025

"瘀血総合科学研究会の発足を祝して(祝辞)
西丸和義(にしまるやすよし)(日本脈管学会名誉会長)"

"See And Do" と吉益東洞の "先物実試"

小川新(座長)
それでは、西丸先生がおいでになっていらっしゃいますから、ごあいさつをいただきたいと思います。先生は、お年は言わないということになっておりますが、日本の脈管学の近代の基礎を築かれた方でいらっしゃいます。若いときのケンブリッジ大学での研究の話、日本へ帰られてからの吉益東洞の“先物実試”の話をよく聞かされておりまして、我々はいつも敬意を表しているのですが、本日は、先生に何かご感想をいただければと思っております。

西丸和義
いまご紹介を受けました西丸と申します。実は私の名前は“和義”と書きます。それで、皆“ワギ、ワギ”と言うのですが、実は私の名前は“ヤスヨシ”というのです。このような研究などしないで商売をしたら、さぞかし成功する名前だと思うのです。安くてよいものを売れば、必ず成功しますから。

実はきのうお電話がありまして、第一回の瘀血学会をやるので、とにかく出てこい。出てこなければ、自動車を向けるからというわけで、引っ張り出されてきたわけです。いま座っておりますと、小川君が盛んに私の広告をするので、これでは参議院にでも立候補せいというのではなかろうかと思いながら、聞いておりましたが・・・。

第一、「おけつ」ということはよく分からないのです。それで私は、早速いただいたこのテキストを読みますと、杉原(芳夫)さんという方の定義が書いてあります。局所的な血滞症状と全身的な汚血症状からなる病的症候群だ。こういうことを書いてあるのです。ははあ、それでは多少循環をやる私にも関係があるのかなと思っておりました。[杉原芳夫:医師,病理学, 広島大学大学院環境科学研究科教授]

もうひとつのことを見ましたら、有地(滋)さんの名があったのです。何年か前に、漢方医学では組織間のことをやらなければならないのだということで私のところへおいでになりまして、私に、元気でおれというので、漢方のお茶を一箱、大きな箱でいただいたのです。まだ全部は飲みませんが。[有地滋:医師,近畿大学東洋医学研究所教授]

ああ、そうかなと思っておりましたら、ここに関西医科大学の先生で伊原(信夫)さんが、「骨盤うっ血と膠原病」ということを「漢方」という本に書いておられるのを見まして、ははあ、これはやはり有地さんがおっしゃったように、組織間が非常に関係があるのだろう、こういうことを考えたわけでございます。 [伊原信夫:医師,関西医科大学病理学教室助教授] 広島大学を定年になりますときに、ひとついままでやってきた体液循環、ハーベーの血液循環に代わって、体液循環を基本にした脈管学会というものを始めようというので、日本脈管学会が始まったわけです。

そのときは、170人が集まるのに大変だったのでした。初めのうちは演題がないのです。第3回まではだれも講演しないのです。仕方がないから、君、やれというので、その場をつくろったわけです。私などは20回のうちで13回特別講演をさせられるような状態で、やっと持ちこたえられてまいりました。

これがそろそろ脈管学というものが盛んになりまして、今日では会員が五千人近くなり、この前第20回がありましたが.演題も500題以上が出るようになりました。そして、初めの頃の助手の人、大学を出たばかりの人、今日も若い人がおいでになるかと思いますが、そういう方がこの二十年で研究に精進され、その人達の中からその後教授になられたり、方々の研究所の主任になられたりして、そして研究がまとまって、33題の特別講演ができるような状態になりました。

きよう、瘀血総合科学研究会はこれが第一回でございますから、いまお話を聞いておりますと非常に盛んで、討論も盛んですから、これは二十回をまたないで、十回ぐらいで大変な学会になるのではなかろうかと、心からのお祝いを申し上げる次第であります。

"See And Do"
なぜ脈管学会が盛んになったかと申しますと、これはそれに関連した疾患が多いからだろうと思います。脳卒中や心筋梗塞、動脈硬化で死ぬものが多いので、多くの人が注意をし、勉強するようになったりではありますまいか。

ところが、今日どうも脈管学会でも、組織間とリンパ管の研究が非常に手薄なのです。これはなぜかと申しますと、病気が発見されていないのです。組織間にいたっては、ここに書いてある膠原病がアメリカのニューヨークの人が初めて言い始めまして、やっと膠原病というものが脚光を浴びてきました。考えてみますと、この組織間というものは、クロード・ベルナールが言ったように、生命の根本になるところです。彼は、人間の生命というものは組織液、いわゆる細胞外液がコンスタントに保たれるかどうかが、生命の根本で、一番大事なところなのだと言ったのでした。

リンパ管というのは、今日はっきり分かっておりますことの1つに、リンパ液を流しっぱなしにすれば、死ぬわけです。また血管とリンパ管の間は神経によって絶えずコントロールされております。

私はシンシナティー大学で五十年前に、コロイドの大家のフィッシャー教授につきましたが、組織の浮腫、edema という仕事が彼の一生の仕事なのです。ところが、幾ら血液の中に水を入れましても、絶対に組織には水はたまらないで、皆毛細リンパ管の中に入ってまいります。言いかえれば、リンパ管は血液中の水と血圧、あるいはいろいろな老廃物、そういうもののコントロールをしているところということはよく分かっているわけです。今日、リンパ球が非常に大きな仕事をしていることもだんだん分かってまいりました。しかし、どうも研究が盛んにならない。それは病気が発見されないからではありますまいか。

先年、中南米に講演に行きましたが、あそこはリンパ管の研究が非常に盛んなのです。四年前に広島でリンパ管の国際シンポジウムをやりましたが、中南米の人が一番熱心で、しかもいい仕事をしておりました。これはなぜかと申しますと、あそこにはリンパ管に関係した風土病があるのです。ですから、世界で一番初めにリンパの学会ができたわけです。どうしても病気の発見をしてもらわないと、研究が盛んにならないのではありますまいか。きようは臨床家の方が多いようでありますから、ぜひ組織間およびリンパ管の病気を発見していただきたいと思います。

こういう研究の、全然いままで人が気が付いてないこと、あるいはいままで真理だと考えていることを訂正するような研究はどうしたらできるでしょうか。私がおりましたケンブリッジ生理学教室の創立者フォスター[Michael Foster,1836-1907]は、百年前に初めて英国で生理学というものを始めた人です。この人の書いた14〜16世紀の生理学を主体にした本を見ますと、昔の生理学者というのは皆臨床の医者で、専門家はほとんどいないのです。英国でさえ百年前に初めて生理学の専門家ができたのですから.皆臨床家です。臨床家が生理的な研究をしたものを集めたのですから、これは臨床家の歴史です。

これを見ますと、彼の言っていることは、いま真理だと考えていることは百年先では笑いものになるものもある。そこで現在私たちが真理だと思っているものの多くは間違いりものだというわけになります。一番間違いのないものは何かというと、研究に対する心と研究者の生活態度である。ですから、本当の研究というものは、研究に対する心、言いかえれば philosophy とその人の精進の心が研究を全うするため大切なのだということを、この本は非常によく教えております。

それでは、どうしたらいままでだれも知らないものを見つけることができるのか。あるいは、いままでの間違いを訂正することができるのか。これには、例えばケンブリッジではフオスターは "see and do" ということを言うのです。即ち "Don't think too much” 思ったらすぐやれ。人が何と言おうが、本に何と書いていようが、そんなことはどうでもいい。気が付いたらすぐやれというのです。

これがいかに大事かといいますと、ケンブリッジで私は二年余り、イギリス、イタリア、ドイツ、ソ連、アメリカ、オランダ、方々の人々と一緒に勉強しました。しかし、彼等は俗に言う頭がいいとは思いません。あまり頭がいいといけないので、私がシンシナティで一緒におりましたグスタフ・エクスタイン[Gusutav Eckstein]という野口英世の歴史を書いた人がいましたが、この人は頭が非常にいい。何かやろうと思うと、それはこうなってこうなるというので、やめてしまうのです。ですから、ある意味では鈍でなければいけないようです。あまり頭がいい必要はないのでしょう。

ケンブリッジの生理にはいつも十人ぐらいしかいない、小さな研究室ですが、それがいままでに7人がノーベル賞をもらっているのです。これは "see and do" によるもので、研究費でもなく、研究装置でもないのです。即ち気が付いたらすぐやる、人がどう言っていようが、そんなことは構わない、すぐやる、これなのです。これはいかにこの考えが大事かということをよく証明していると思われるのです。

なぜフォスターがこういう考えを持ったかといいますと、それまでは英国でも内科の医者が生理の講義をしていたのでしたが、それが彼が英国で初めて生理学でフランスのクロード・ベルナールの教室へ一年半留学させられましたからでした。皆さんご存じの『実験医学研究序説』(邦題『実験医学序説』)を書いたこのクロード・ベルナール[Claude Bernard]が、人が何と書いていようが、そんなことはどうでもいい、先入主にとらわれないで、ただ自然の声を聞いて書きつけるだけだ、と言いました。彼はこの心で、いままでハーべーが血管というものは血液の管にすぎないと言いましたが、とんでもない、そこにはコントロールする神経があるということを発見した人です。 [『実験医学研究序説』1865年出版]

何も彼はそのようなものを発見しようと思ったのではないのです。ウサギで脳の実験をしていて、交感神経を出して切りました。そうしたら、幸いにも白いウサギで、耳が目の前にあったわけです。その時耳の色が真っ赤になりました。びっくりしてあっと思ったのでした。これが自然の語るを聞いたことになりました。今度は刺激したら、白くなりました。これが.血管運動神経を発見したゆえんなのです。フォスターはこの研究室に一年半いたのが自分の一生を支配したと言ってます。これは非常に大切がことでから、人が何と言おうが、どうでもいいわけです。ハーベーも、自分は人の本から学んだのではなくて、心臓から学んだということを言っております。

次に、テーマができる、きっかけができる。きっかけができたらどうするかというと、これは実験方法を考えることが大事なのです。人のやった実験方法でやれば、同じことが出るのはあたりまえです。もし間違っていたら、どちらかが間違っただけの話です。ハーベーもそれはちゃんと本に書いております。いままでのような生体解剖をやったのでは五里霧中だ、心臓の収縮は神のみぞ知る、と書いています。そこで考えを変えて、動物とか、そういうようなものの比較生理、比較実験によって初めて迷霧が晴れたと言っています。ですから、皆さんはきっかけを得たら、何か実験方法を考案しなければらないということを教えているわけでありましょう。

ハーべーはまたこう言っております。心ない人と論争するな。学会というものが一番大事なのは、お互いに積み立てのために、協力するための討論をしなければならない。やっつけるための討論をしてはいけない。ですから、あなたはそう言われたが、こうやったらいかがでしょう、ああやったらいかがでしょう、という話が出なければ、学会の意味はない。これはハーベーがよく言っております。

"先物実試"
広島以外からおいでいただいている人もたくさんとのことですが、実はぜひ聞いていただきたいことがあるのです。ご承知とは思いますが、広島市内の銀山町というところで吉益東洞が二百五十年前に生まれたのでした。ご承知のように、吉益東洞は全然西洋医学の影響を受けておりません。その息子が吉益南涯で、その弟子が華岡青洲です。華岡青洲はむろん西洋医学の影響を受けて、ご承知のように世界に先がけて麻酔で手術したわけです。

この吉益東洞が広島におりまして、三十七歳で自分が実験しないものは信じない。本に毒されては病人が治せない。自分は京都に出て、天下の医者を教育する、という考えを持ったわけです。そうしなけれぼ患者が救えないといって、彼は 京都に出ましたが患者が来ないので、飯も食えない。八年間人形作りをして、やっと糊ロをしのいだわけです。

この吉益東洞が広島で考えたことはどういうことかといいますと、先物実試、まず物を先に試せ。これは "see and do" と同じことなのです。彼は張仲景の直系で古医方です。それが、張仲景のキツネにばかされるな、吉益の舌も守るな、こう言ったのです。これはちょうどクロード・ベルナールの言う先入主にとらわれないということです。こうして弟子たちを養成しているのです。

五十年前ですが、私はケンブリッジから "see and do" で鬼の首でもとったように思って帰ってきたわけです。あるとき我々の先輩の富士川游先生の展示会を見まして、この吉益東洞のことを知ってびっくりしたのでした。なにも英国まで行くことはない。 広島の地にこういう人間がいた。言い換えれば、先程お話がありましたが、漢方医学においても、西洋医学においても、同じことなのでしょう。いわゆる研究に対する態度というものは同じことだいうことを、しみじみ感じます。

そして、吉益東洞の息子の南涯が、おやじの「万病一毒」という概念を敷衍しまして、『気血水辨』という本を書きました。この気血水辨というのは何かといいますと、食べ物が肺臓で気になる。体の表面近くは水がある。切れば組織液が出ますから、彼は水と思ったのでしょう。奥のほうには血液がある。気が心臓でこれに乗って全身を循環するというのです。ハーベーとは全然関係なしに考えたのです。そして、これがよどんだり、逆行すると病気になる、こういうことを言ったわけであります。

漢方医学における体液循環、血液循環は中国医学にはありません。これは東洞・南涯が言い出したのでした。こうしたことは 広島が発祥り地で、しかも研究に対するこの態度も 広島が発祥の地でではありますまいか。いままで杉田玄白とか、いろいろな人が漢方医として有名ですが、しかし、こういう人の多くは医学を解説しただけなりです。あるいは輸入しただけなのです。

医学の研究というものを本当に教えたのは、あるいは現在でも吉益東洞以外にはいないのではないかと思うくらいで、私たち広島のものは非常にこれを誇りにしております。こういう素地が広島にはあるわけであります。どうぞこれをひとつ覚えて下さって広島からお帰りくださいますよう、これはの宣伝でございますから悪しからず。先程小川君が盛んに私を宣伝しましたから、私は吉益東洞を宣伝いたします。

釈迦に説法のようなお話しをして申しわけありませんが、これが第一回だというので、研究の心構えについて平素私の思っていることをお話しいたしました。将来この会が大変に盛んになるということをお祈りをしまして、この話を終えます。皆さん、どうもありがとうございました。(文責小川新)

小川新
どうもお忙しいところ、ありがとうございました。我々のために、philosophy、research などいろいろな貴重な話をいただきました。自ら実践してこられた道を淡々と語って、我々を励ましていただいたものと非常にありがたく、感謝しながら聞かせていただきました。

(終わり)

瘀血総合科学研究会の発足を祝して(祝辞)
西丸和義(にしまるやすよし)(日本脈管学会名誉会長)
第一回瘀血総合科学研究会/昭和55年 (1980年)2月22日_広島県医師会館にて

西丸和義:医博,広島大名誉教授,平成2年5月15日卒93才

07/12/2025

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07/12/2025

広島に落とされた所謂原爆は
毒ガス兵器ではなかったか

小川新 新論
http://shin-lon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-60b4.html
より引用

10. 毒という概念と治癒の実際、吉益東洞のこと

被爆直後の原子爆弾放射線症、二次放射性物質被曝症に於いても、人体に於ける放射線の生物学的反応として、骨髄に対する種々の段階の障害が主体となって、白血球、血小板の減少を伴う全身的毛細血管出血に、感染症が加わっている。
この病態に対して、西洋医学では、主として血液検査による病態解析が主となって、輸血とか、骨髄移植などを中心として、その回復を図る治療方法を選ぶことは、まことに適切である。

しかし、先述のごとく毒という概念に立って、放射性物質被曝症が発症する以前に種々な薬草及び食品による清熱解毒療法、また種々な方法による排毒療法が、素人によって自然に行われていたことは、驚くべきことであった。ただ、なぜこのような解毒療法が行われたのかの疑問が起こる。

それは、原子爆弾投下の当日、広島市内には、異臭がただよっていたので、これを毒ガス入りの爆弾のように解釈した人が多かったようである。それは、短時間の強烈な熱線の作用によって、爆心地では、約二千〜四千度に達していたので、表皮の炭化のみならず、内臓の蒸発状態を招来し、即死または即日死した多数の人(1〜3万人)の焼死のために出た煙が風によって運ばれ、異臭を放ったのではないかと思われる。これを、爆心地から二千〜三千メートル以上の地点にいた人は、毒ガスを伴う新型爆弾という風に理解したのではないかと思う。

しかし、爆発直後からはじまる初期の段階から発症する症候群が放射線・放射性物質による障害あると当然ながら全く想像さえ出来なかった。この点について一部のレントゲン医師は3日後位にX線フィルムの感光の状態をみて気付いていたのであるが、病理学的に分かったのは病理学者が解剖を始めてた8月20日以後であったようだ。広島県立医学専門学校(広島大学医学部前身)の玉川忠太教授の病理解剖により、赤痢と思って隔離されていた患者の血性下痢が放射線や放射性物質の被曝によるものと判明したのは、8月20日以後であった。

なぜ、このように病理解剖が遅れたかは、県庁衛生部が直後から解剖を禁止していた経緯があるのだが、玉川教授は、この指令を破って止むに止まれず20日頃から解剖を開始したのである。縁あって私は玉川教授の病理解剖のお手伝いしたが、このことは直接玉川教授からお聞きした。

さて、このような状態であったから、一般の市民や患者は放射性物質による障害のことなど到底知りうべくもない。ただ直感的に毒ガスを吸った毒であろうから、これを体外に排泄しなければ大変なことになると思い解毒療法を行ったのではないかと思われる。

さてこの広島市は、二百数十年前「万病一毒論」の主張で一世を風靡した江戸時代の医傑吉益東洞を生んだ所であるが、彼は「凡そ病というものは必ず毒によるものである」ことを悟り、病症や疾患像の奥に潜む欝毒を知らずして医の学問は成り立たない主張した。
それは、現代医学的に言えば、体液循環の障害によって生ずる病的状態を毒という言葉で表現したものであろう。

広島の被爆者が、さしせまる危機を毒に因るものと直感し清熱解毒し瀉下し吐した事は、実に適切であった。このような知恵を発揮したのも吉益東洞の影響があるのではないかと思われる。
この吉益東洞の銅像や、記念碑は、広島県医師会館にあり、顕彰碑は寺町報専坊に建てられているが、彼の功績については、伝統医学の専門家のみならず、現代医学の先生からも尊敬されているような次第である。

https://youtu.be/F3NZ5B-nj8w?si=i9Y73Q8cxUmJuzcf

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