15/10/2025
毎月発刊しているニューズレターの最新号を掲載しました。 こちらよりPDFで閲覧が可能です。修了生の体験談や施設の近況等、ぜひご一読ください。 NEWS LETTER 202510ダウンロード 体験談「かつてどのようで 何が起こり 今どのようか」 修了生S・Jさん 私はアルコール依存症の37 歳です。生活保護を受けるにあたって社会復帰する為の一助になると思い、RD デイケアセンターに入所しました。 穏やかな両親のもとに生まれ愛情を一身に受けて育ってきましたが、新興宗教を信仰する環境でしたので世間とは文化や常識が違う部分がありました。また周囲の方々も愛情を注いでくれましたが、距離感が非常に近く、今振り返れば過干渉な方々に囲まれて育ったのだと思います。 学生時代から人間関係に対して消極的であり、受け身の姿勢でいる時期が長くありました。過干渉な環境に慣れてしまっていたのか、人間関係は向こうからやってくると考えていた節があり、人間関係へのハードルや要求を自分で勝手に高くしていたのだと思います。 お酒に依存するようになったのは30歳の頃、清掃の仕事に就いた後のことでした。宗教色の非常に強い職場で、スタッフ間の距離感が非常に近い環境でした。それを承知の上で入社したものの人間関係に強い息苦しさを感じ、大きなストレスとなってしまいました。それと同時に精神面が不安定になり、自己肯定を出来なくなりました。 この頃から一人暮らしを始めましたが、感染症騒ぎが発生して身動きが取れず転職を出来る情勢ではなくなり、人間関係が狭く逃れられないものになっていきました。その息苦しさと寂しさを紛らわせる為に酒を飲むようになり、酔っ払うことで悩みや衝動から逃れられることを知りました。一人暮らしのため周囲に注意されたり衝突するような存在もおらず、欲求に任せて飲酒することは難しくありませんでした。 それからは退勤後にコンビニへ駆け込んで酒を流し込み、帰宅後は気絶するまで飲酒する毎日になりました。お酒の飲み方で覚えているのは路線バスの車内で飲酒していたことです。通勤で使うバスが感染症騒ぎで乗客が激減していたので、誰も乗らないバスの車内でストロング缶をあおっていました。帰宅途中に歩きながら飲酒したり、電車の車内で飲酒したりといかに飲酒欲求に任せた行動をしていたかが分かります。 その後泥酔状態で暴行事件を起こしてしまい、それを機にアルコールへの依存が職場や両親にばれてしまいます。アルコール依存症と診断され入院を強く勧められますが、この時点では自分の依存症は軽症であると考えていました。しかし入院することで職場の人間関係から逃れられることに気づき、入院を決断します。このあと職場には居られなくなり、退職を余儀なくされるのですが。 退院しても事の重大さを理解せず、気軽に再飲酒してしまうことがありました。デイケアにもなじめず、就労移行支援にも通えなくなりました。スポンサーはいましたが提案を聞かなかった結果です。AA ミーティングには参加出来ていましたが、生活態度は良くないものでした。SNS に依存してしまい、その内容に一喜一憂して感情を乱高下させて物に八つ当たりするなど、飲酒時とあまり変わらない過ごし方だったと思います。 生活保護の受給を機にかかりつけ医からRD デイケアセンターを勧められ通所することになります。当初は教室の空気に馴染めているとは言えませんでした。しかし人間慣れてしまうもので、気づいたら毎朝10時に通所することが苦でなくなり仲間と過ごすことへの抵抗も急速に無くなっていきました。飲酒時は人間不信状態であり、人間関係は希薄なものでした。断酒後もAA ミーティングには積極的に参加していましたが、仲間との距離感がつかめず関係を深める事に消極的でした。RD では毎日同じ仲間と過ごすので会話をする機会も増え、人間不信も改善されていきました。 RD に来て回復に特に効果があると感じているのは、職員さんと行う日々の棚卸しです。スポンサーとも途中まで棚卸しを行っており、自他境界の曖昧さや主体性の無さを指摘されていました。しかしその欠点がどこで露呈して、どのような影響を与えているのかが分かりませんでした。日々の棚卸しを行う事で毎日の行動ややり取り、感情に対して指摘や解説を行ってもらい、どのような心持ちや行動を取れば良いのかを提案して頂きました。 日々の棚卸しを繰り返すことで自分の言動のクセが明確になり、それに対して取るべき行動も明確になっているので改善しやすいのもありがたい点です。自分の欠点を真正面から指摘されるので恥ずかしさや怒りがこみ上げてくることもあるのですが、その欠点に振り回されて人生がダメになっていますので、受け入れるほかありません。これを繰り返すことによって人間関係が改善されてきましたし、恐れも軽減されていると感じます。 お酒に依存をしていた頃は自分の生育環境や人間関係をとても恨んでいました。周囲へのSOS も出せず、他人を信じず、足がすくんで現状維持が精一杯でした。自分の行動力の無さを棚に上げて宗教のことを恨み倒していました。しかし恨んでいたのは宗教活動をすることで生じる周囲との摩擦であり、人間関係が壊れてしまう可能性を一番に恐れていました。それならば自分一人で静かに祈りを捧げていれば、依存症になるほどの精神不安を引き起こすことも無く、まともな人生を送れていたかもしれません。白黒思考に陥ってしまうのが依存症者のサガであり、白黒思考ゆえに生きづらさを覚えて依存症に走ってしまったのでしょう。 これまでの人生を振り返ると自分には社会を生き抜く為の知恵が不足していましたし、それを求める行動も不足していました。学生時代から集団行動が苦手だったので上下関係など人間関係の作り方、保ち方を分かっていませんでした。私の人生において宗教の影響を大きく受けることは避けられませんが、影響を小さくすることは出来たのではないかと考えます。そこまでの思考に至ることが出来たのはRD の人間関係にもまれて等身大の自分を直視できるようになったからだと思います。
毎月発刊しているニューズレターの最新号を掲載しました。こちらよりPDFで閲覧が可能です。修了生の体験談や施設の近況等、ぜひご一読ください。NEWS LETTER 202510ダウンロード体験談「かつてどのようで 何が起こり 今ど...