13/10/2025
<福島活動報告 2025年9~10月 浪江町帰還困難区域の稲作 >
※1~4 簡単な解説を末尾に作りました。必要な方はご覧ください。
〇原発事故※1(2011年3月)の帰還困難区域※2 の中、津島地区での稲作を少しご紹介いたします。
〇浪江町津島地区は阿武隈高地の中で循環型農業をしていました。自然の恵みと人の温かさが魅力のSDGsのお手本のような地区でしたが原発事故の帰還困難区域になってしまいました。
「100年先まで戻れないかも」、といわれる地区もあります。
それでも除染※3 された 復興拠点※4 という居住や試験的な耕作ができる場所が2024年4月からできて、
住民方は稲作の試験栽培を始めて2回目の収穫です。精米して放射能汚染の程度を調べます。
〇津島地区の実りの秋の様子を、事故前年、事故から約10年、そして毎年1反だけの試験栽培での2回目の収穫に分けて、、一部ですがご紹介します。
なお、津島地区での復興拠点は地域全体面積の1,6%です。
撮影:震災前2010年9月/震災後2013~2022年:馬場靖子
2025年9~10月:NPO未来といのち
文責:認定NPO法人未来といのち
<※1~4 参考資料>
※1 F1原発事故:ここでは2011年3月11日の東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所(以下F1)の事故。津波で全電源を喪失して炉心冷却ができないままF1の4基の原発のうち3基が爆発。1基は休止中で爆発は逃れた。4基とも廃炉を目指すも困難な過程の途中。また地震、津波、原発事故という複合災害の情報もない中で多くの人たちがF1から北西の高濃度の放射能が流れた汚染地区に避難した(簡単な概略として各省庁や避難市町村資料より当法人が文章作成)。
※2 帰還困難地域:
2024年4月に残る帰還困難地域は、原発立地のない浪江町の約80%と飯舘村の長泥地区、原発立地の大熊町と双葉町の大半で東京都23区の半分ほどの面積。
事故後6年目でも、年間積算線量が 20 ミリシーベルトを下回らない、人間が健康に暮らし子育てや生産をするに不安のある地域。出入りする道路はバリケードで管理され住民に対して避難の徹底を求めるが、住民の意向に配慮して住民の一時立入りを実施中。他に公益性のある出入りも管理中(2014年制定)。立ち入りは当該市町村や内閣府が許可をして実施される(環境庁と経済産業省webサイトを引用して当法人で平易な言語を使用して概略を作製)。
※3 除染:放射能で汚染された表土をはがして別の場所から運んだ土をかぶせる。建造物は水で洗い流すか布でふきとるなどを人力で行う。剝がした土や汚染物は放射能を遮蔽できるフレコンバックという袋に詰め、付近の仮置き場に集めて大型トラックで中間貯蔵地施設という双葉町と大熊町にある保管場所に運んでいる。その後の処理や詳細など以下参考。
環境省・除染の方法 https://www.env.go.jp/chemi/rhm/current/09-01-03.html
※4 復興拠点(特定復興再生拠点区域):帰還困難区域の一部で除染やインフラ等の整備をして住めるようにした区域。復興再生にむけての拠点とするため。当該の市町村が主体で計画申請をして内閣府が認めた地域。2017年9月より申請開始。
なお、浪江町は「~長い年月を要するとしても、帰還困難区域全域を避難指示解除することを目標と掲げる~」と町の帰還困難区域復興再生計画の一部に記しています。
参考リンク。
復興特別区域制度 | 復興庁 https://www.reconstruction.go.jp/topics/cat-11/sub-cat1-13/
特定復興再生拠点区域復興再生計画 浪江町平成29年12月4日
https://www.town.namie.fukushima.jp/uploaded/attachment/7892.pdf