京都民医連中央病院 医学生・研修医・専攻医のページ

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11/11/2025

老指導医のつぼやき
「Terminal Lucidity:終末期明晰」

11/1〜11/2に、盛岡市で開催された『死の臨床研究会』で、「死ぬ前に意識がはっきりする時間があること:多くの人が経験しているけれども、解明されていない現象について」と題して、ポスター発表を行なった。

認知症患者や精神疾患をもった方が、亡くなる直前に短時間意識がはっきりし、なくしたと思われていた記憶が戻り、家族や医療スタッフとしっかり話をするということが、たまに見られることがある。がん患者さんであっても、このような現象が見られることがあり、当院の緩和ケア病棟では、おおよそ半数のナースが、このような現象を経験した(あるいは聞いた)ことがある、と言っている。ぼくも、亡くなる前日くらいに意識がしっかりした何人かの患者さんをみてきた。日本では、このような、亡くなる前に意識が戻ってくる現象を、「中なおり現象」とか「お迎え現象」と表現していたため、ややオカルト的なひびきがあって、医学の研究対象となってはいなかったようだ。

海外では、ドイツのナームという医師が、「terminal lucidity」という言葉を2009年の論文で初めて用いた。彼が過去の文献を調べると、死の前に、予期せぬ意識の清明化や記憶の回復が短時間みられるという現象は、250年以上前から知られていた。しかし、これまでほとんど関心が払われてこなかったという。興味深いのは、彼が「terminal lucidity」という言葉を論文で発表してから、年々「terminal lucidity」に関する論文の数が増えてきていることだ。ある現象にいったん名前が与えられると、それに関連する事例報告が増えてくるようだ。

ところが、この「terminal lucidity」には定まった日本語訳がなかったため、日本ではその後もしばらく「オカルト的現象」というとらえ方しかされてこなかったように思われる。

そして、アレクサンダー・バティアーニの『死の前、「意識がはっきりする時間」の謎にせまる』(KADOKAWA)という本の翻訳が2024年に出版された。ここで、訳者の三輪美矢子は、「terminal lucidity」を「終末期明晰」と訳した。この日本語訳が普及することで、人々が経験してはいるけれども表現できなかった現象を、共通のものとして語ることができるようになるかもしれない。

現時点では、「終末期明晰」は、まだ事例報告に過ぎず、そのメカニズムは一切明らかになっていない。しかし、これはオカルト現象ではなく、実際に経験される現象だ。私たちがまだ知らない脳の機能、あるいは説明できていない精神世界の働きによる現象である可能性がある。今後の研究が楽しみだ。

04/11/2025

老指導医のつぼやき
「宝島:小説と映画の虚実の描き方」

沖縄の学会に行ったので、ぜひとも映画『宝島』(大友啓史監督)を観ようと思っていた。映画を観る前に、真藤順丈の小説『宝島』を読んでいたので、この小説をどう映画化するのか、ということにも興味があった。小説も映画も、虚実織り交ぜて描かれている。映画『宝島』については、「実」の部分の描き方には迫力があった。

1959年6月30日に起きた米軍ジェット機墜落事故では、宮森小学校とその近隣の民家が炎上し、死亡者数17名(うち児童11名)、負傷者数210名(うち児童156名)を出したが、ジェット機のパイロットはパラシュートで脱出して無事だった。当時、米軍は「不可抗力の事故」と正式発表した。(沖縄県公文書館資料より)主人公の一人ヤマコ(広瀬すず)は、小学校の教師としてこの事故に遭遇する。小説ではより悲惨に描かれていたが、映像では残酷な表現は抑えられていた。しかし、刑事のグスク(妻夫木聡)に抱きかかえられて号泣するヤマコの姿で、目の前で児童が亡くなったことは十分に伝わってきた。ヤマコはこの事故以降、沖縄から米軍基地を無くす闘争に身を投じることになる、という展開もうなずける。

もうひとつは、1970年12月20日に、コザ市(現・沖縄市)で起きたコザ反米騒動(一般にはコザ暴動と呼ばれているが、沖縄では騒動と呼んでいる)。きっかけは、午前0時15分ごろに、アメリカ人が運転する車が道路を横断中の男性をひっかけて怪我を負わせた事故だった。この事故処理に当たったMP(米軍の憲兵)を見物人が取り囲んだときに、MPが威嚇発砲をしたことから騒動が広がった。アメリカ人の運転する車がひっくり返され、燃やされた。映画では、わざわざアメリカのクラシックカーを輸入して撮影に及んだそうだが、これをひっくり返して火を付けていたとすると、もったいないなぁ、と思いながら観ていた。この騒動の場面は映画では20分くらいの長さがあったが、実際の騒動はその日の早朝まで続いたという。(沖縄県公文書館資料より)

一方、映画の「虚」は、ちょっと物足りなかった。戦果アギヤー(アメリカ軍基地から物資を盗んで住民に品を分け与えていた若者の集団。これは実際にいたらしい)を率いるオンちゃん(永山瑛太)が、嘉手納基地を襲った晩から行方不明になることからミステリーが始まる。最後に明かされるオンちゃんの「物語」が、先の二人(グスクとヤマコ)とオンちゃんの弟のレイ(窪田正孝)に明らかにされていく過程には、かなり無理があるように思われた。

それでも、この映画は、ぼくたちが沖縄の痛みを理解するためにも観るべき映画だろうなと思った。

先日の京都新聞の記事に、沖縄県生まれの芥川賞作家、目取真俊(めどるましゅん)さんの談話が載っていた。彼は、米兵による沖縄少女暴行事件について触れていたのだが、その中でこう語っていた。「日本人の多くは事件を『沖縄問題』として矮小化し、自分たちの問題と捉えなかった。逆に言えば、日本人に自分事と考えさせないために、距離が遠く、人口も少なく、異なった文化や歴史を持つ沖縄に基地を集中させているわけです」と。『宝島』では、小説でも映画でも、沖縄の人たちと本土の人たちとの認識のズレが描かれていた。そうした認識のミゾを埋めるためにも、「本土」のぼくたちは、この映画を観なければならないと思った。

\ 指導医に聞いた 働きにくい研修医 /見学をご希望の方は、DMで「見学」とだけお送りください!もしくは、以下の文章をコピペしていただいても大丈夫です。***************京都民医連中央病院 ご担当様突然のメール失礼いたします。病...
27/10/2025

\ 指導医に聞いた 働きにくい研修医 /

見学をご希望の方は、DMで「見学」とだけお送りください!

もしくは、以下の文章をコピペしていただいても大丈夫です。

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京都民医連中央病院 ご担当様

突然のメール失礼いたします。
病院見学を考えていますが、日程などよければ相談できますでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。

●●病院/●●大学
医師●年目/●年生
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27/10/2025

研修医のつぶやき…😶‍🌫️

皆様こんにちは、研修医1年目のYです。現在は院内救急をローテしています。
当院のカリキュラムは初めの半年間で内科を回りながら、週一回の内科当直をします。研修医になりたての頃は診察やカルテ、血液検査のオーダーなど1つ1つのことを指導医にその都度確認しないと何もできませんでした。最近は私なりではありますが診察から必要な検査まで一通り順に行うことができ、業務が以前よりも楽しく感じるようになりました。(もちろん初めて診る疾患に直面すると焦ります)今後も指導医の先生方に教わりながら現場で活躍できる医師になれるように精進致します。
休日は旅行を2週に1度のペースで行きます。東京に友人が複数いますので関東にはよく出かけます。最近はスカイツリーの下で行われていたドイツのグルメ祭りに行ってきました。ビールだけでも数えきれない種類があり、私はフルーティーなものが好みでした。
海外には先月末に夏休みを頂戴し7泊でアメリカのカリフォルニアへ行きました。有名アーティストのライブに行きましたが、日本とは比較にならない規模の人と、施設の大きさ、人々の声援でした。次は香港へ出かけようかと思っております。
以上今月の研修医のつぶやきでした。長文失礼致します。

23/10/2025

見学をご希望の方は、DMで「見学」とだけお送りください!

もしくは、以下の文章をコピペしていただいても大丈夫です。

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京都民医連中央病院 ご担当様

突然のメール失礼いたします。
病院見学を考えていますが、日程などよければ相談できますでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。

●●病院/●●大学
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老指導医のつぼやき「沖縄の学会はひと味ちがった」10月10日〜11日に、沖縄県糸満市で開催された日本サイコオンコロジー学会で、母親を乳がんで亡くした30歳代の娘さんの事例を発表しました。母親はシングルマザー。娘さんは中学生のときに不登校とな...
22/10/2025

老指導医のつぼやき
「沖縄の学会はひと味ちがった」

10月10日〜11日に、沖縄県糸満市で開催された日本サイコオンコロジー学会で、母親を乳がんで亡くした30歳代の娘さんの事例を発表しました。
母親はシングルマザー。娘さんは中学生のときに不登校となり、その後ひきこもりとなっていました。しかし、母親ががんになってからは、手術の説明などで、彼女は病院に出向くようになりました。緩和ケア病棟では、やがて母親を亡くし、自分ひとりで生活をしなければならなくなる彼女を多職種で支え、精神科の外来で定期的にフォローできるようにつなぐことができた、という事例でした。
正直に言うと、この娘さんとかかわるまで、ぼくの中には、「ひきこもり」をしている人たちへの偏見がありました。何らかの精神疾患を抱えているのではないか、状況を理解できる能力はあるのだろうか、そもそも話がまともにできるのだろうか、等々。
世の中では、「ひきこもりは、働きもせず、親のすねをかじって生きている怠け者だ。甘えているだけで、家ではゲームばかりしているじゃないか」あるいは、「家庭内で暴れたり、他人に危害を加えたりする危険があるので、近くに住んでいるとこわい」などと思われることもあるようです。しかし、学会の準備をしている中で、これらはすべて誤解であったことに、気づくことができました。

ところで、糸満市は、第二次世界大戦で唯一住民を巻き込んだ地上戦のあった地域です。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校(ふたつの学校は「ひめゆり」という愛称で呼ばれています)の女生徒と教師あわせて240人は、1945年の沖縄戦で動員され、日本軍の病院で働きました。患者である日本兵に水や食事を配る、尿や便の世話や片付ける、患者の体にわいたウジを取る、飯上げ(食事の運搬)、手術の手伝い、包帯交換、各壕への伝令、死亡した生徒の埋葬などが、女生徒たちの仕事でした。
敗色濃厚となった1945年6月18日夜に、陸軍病院に動員された学徒隊に「解散命令」が出されます。侵攻してくる敵前に放り出された少女たちはさまよい、行き場を失います。結局、学徒隊240人中136人が亡くなりましたが、その内86%に当たる117人は、6月18日の解散命令後に亡くなったそうです。
沖縄をたつ日の午前中に、ひめゆりの塔を訪れました。献花をした後、ひめゆり平和祈念資料館を見学しましたが、壁一面に並べられた教師と女生徒240人の写真からは、彼女らのつらさや哀しみ、悔しさが伝わってくるようでした。

14/10/2025

老指導医のつぼやき
「子音と母音とどちらが大事か?」

「名前」を英語ではname(ネイム)という。「名前」をローマ字で書くと「namae」で、何となくつづりが似ているが、語源的には何の関連もない。ヨーロッパ大陸に渡ると、「名前」に当たる言葉は、ポルトガル語でnome(ノーミ)フランス語でnom(ノム)、ドイツ語でName(ナーメ)、イタリア語でnome(ノーメ)、スペイン語でnombre(ノンブレ)、オランダ語でnaam(ナーム)、フィンランド語でnimi(ニミ)などと多彩である。多彩であるが、よくよく見ると共通する文字がある。「n」と「m」の並びである。
以前、オランダ出身の神父さんから、「自分たちは子音の並び方で、意味を理解している」と聞き、なるほど「n・m・」という子音の並びを見たときに、彼らは「名前」という言葉を想起しているのだな、と腑に落ちたことがある。
ヨーロッパ言語のご先祖的存在であるラテン語で、「名前」はnomen(ノーメン)であるから、彼らは子音を残して言葉を伝えてきたのかもしれませんね。
そういえば、映画『マイ・フェア・レディ』(1964年)で、オードリー・ヘプバーン扮する花売り娘が、下品な言葉遣いを直せば淑女になれる、と言われて、言語学の教授からレッスンを受けていたとき、rain(雨)の発音を[ライン]と発音していたのを[レイン]と修正しようとしていた場面があった。われわれ日本人からすると、「r」と「l」の発音の区別の方がむずかしくて苦労をするのだが、イギリスでは子音の発音よりも母音の発音の区別の方がむずかしいのかもしれませんね。
ところで、ローマ字の表記法にヘボン式というのがあるのをご存知でしょうか。学校で教えられてきたローマ字もヘボン式だったと思います。このヘボン式というのは、もともとアメリカ人宣教師のジェームズ・カーティス・ヘボンさんが考案したとのことです。実は、このヘボンの英語のつづりはHepburnで、オードリー・ヘプバーンの名前と同じなのです。この宣教師は幕末から明治にかけて日本に来た人で、当時の日本人は、その発音を「ヘボン」と表記しました。その後、「ローマの休日」で一躍有名になった女優さんの方は「ヘプバーン」と表記されるようになりましたが、なぜか統一されることなく現在に至っています。
でもやっぱり、オードリー・ヘボンの「マイ・フェア・レディ」ではさえませんよね、何となくですが…。

老指導医のつぼやき「十字架を投げ捨てた信者さん」以前、極彩色に彩られた木の十字架を、いつも首にかけているクリスチャンの肺がん患者さんがおられた。経鼻カニューレで酸素を投与されていたが、ベッドの上にあぐらをかいて座り、両手の人差し指につけたパ...
07/10/2025

老指導医のつぼやき

「十字架を投げ捨てた信者さん」

以前、極彩色に彩られた木の十字架を、いつも首にかけているクリスチャンの肺がん患者さんがおられた。
経鼻カニューレで酸素を投与されていたが、ベッドの上にあぐらをかいて座り、両手の人差し指につけたパルスオキシメータの数値を見比べて、経鼻カニューレをつけたりはずしたりされていた。ご自分なりの基準があったのだろうか。
肺がんによる呼吸困難が進行してくると、酸素飽和度がそれほど下がっていないのに、息苦しくなることがある。どうしようもなくしんどくなったとき、彼は、首からかけていた十字架を床にたたきつけた。神様にどんなに祈っても楽にはならないじゃないか、と彼はいかっていたのだ。
キリスト教に限らず、信仰をもっている方であっても、もちろんがんになることはある。しかし、その受け止め方は、信者さんによってさまざまだろう。
・自分ががんになったのは、過去に犯した罪が原因だ。その罪を神が許さなかったのだ。
・神が乗り越えられない苦悩を与えたもうはずがない。がんはきっと克服できるに違いない。
・自分ががんになったのは、信仰が足りないからだ。もっと祈らなければ。(あるいはもっと寄進しなければ)
先の患者さんが、極彩色の十字架を床にたたきつけた真意は何だったのだろう?
H.S.クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』(岩波現代文庫)によれば、がんのように「私たちにふりかかってくる不幸な出来事は、その発生時においてはなんの意味も持っていない」「それらはべつに、納得できるような道理などなしにやってくる」のだ。そして、私たちが問うべきなのは、「どうして、この私にこんなことが起こるのだ?私がいったい、どんなことをしたというのか?」という問いではなく、「すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろうか?」というものだろう、とクシュナーは言っている。
彼はユダヤ教のラビで、生まれつきの難病を患ったわが子を15歳で亡くしている。その経験をふまえて、彼はこの本を書いた。神に祈るべきは、病気にならないように、事故にあわないようにしてください、ということではなく、病苦が長期に及んでも、それに耐えうる力を自分がもてるように支えてください、ということだと彼は言う。そして、祈りが私たちにもたらしてくれる第一のことは、「私たちをほかの人と結び合わせてくれること」、「同じような思い、価値、希望、そして痛みをもった人たちと、祈りによって繋がることができる」ことだと、彼は述べている。

今週から整形外科を回り始めた研修医が、専攻医に結紮を指導してもらってました😊👍
02/10/2025

今週から整形外科を回り始めた研修医が、専攻医に結紮を指導してもらってました😊👍

住所

Kyoto-shi, Kyoto
616-8147

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