30/10/2025
自分を変えたい、変えざるを得ないというタイミングは、生きていれば自ずとやって来る。しかしそういう意味では、環境や状況を変えることが容易な人生(時代)にはチャンスが減るのかもしれない。まったくもって幸不幸は自分の尺度で判断することはできないものだと思う。
辛くもチャンスに恵まれた場合、進んでいけば必ず行き当たるのは『潜在意識』という森だ。それまで認識できるものがすべてだと信じて生きてきて、そこに生きづらさと行き詰まりを感じて生きてきた人にとって、それは謎解きの第一歩となる。
私たちは理性の指し示すようにならないから苦しむのであり、理性の前に立ちはだかる分厚い障壁が潜在意識だったことを知る。
しかしここで次の段階がやって来る。
その肝心の理性は、潜在意識の記憶を元に組み立てられた判断基準で成り立っている。
もし私たちが肉体という存在ならば、ここで物語は詰んでいる。肉体に属する意識は、顕在意識と潜在意識のいずれかしかないからだ。
つまり、私たちは体験によって少しずつ学び、ひいては他者よりも優れたものになり、生き残っていく。その狭間に「楽しむ」という高い知性を得たものだけに許される特権を体験していく。この世界でやっていくことはせいぜいそれくらいだということだ。
このことに人はいい加減気づいている。そして他者よりも優位でいる間は束の間希望を抱き、どうやってもこの劣勢を覆すのが困難だと感じれば絶望する。絶望に病名を付けて、あたかも治療薬があるかのようにこの世は見せかけ、何かしらの名前を与えて役割を果たすことを私たちに求めてくる。
頭の良い人や優しくてまじめな人が病むと称して、やり過ごすためのツールを開発し与え続けるこの世界。
次世代のためと称して決まりを整え、整えられた中でマヒしてすり減っていく子供たち。
それは今に始まったことではない。私が子供の時から充分にそうだった。私はそのようにして育った。
ただ幸運だったのは、私が病気の親きょうだいの中で育ったことだ。傷ついた母に育てられたことだ。そうだったから、私はこの世界に疑問を持つことが叶った。
矛盾の綻びから目をそらさずに見つめ、その向こうを求めることができた。
潜在意識の森はカオスである。そこに救いを求める人がこの世にはたくさんいる。宗教に救いを求める人がたくさんいるように。科学に救いを求める人がたくさんいるように。経済に救いを求める人がたくさんいるように。権力に救いを求める人がたくさんいるように。心を閉じることに救いを求める人がたくさんいるように。
そして自分が救いを求めるもの以外に救いを求める人をさげすむ人がたくさんいる。
この世界を少しでもましなものにするために人は奔走する。それが美しく見えることもある。でも少しましになったことで、本質を見失うということもある。
この世は自我が作った。だからこの世に愛はない。愛を回復させる道は、私たちが私というシステムを理解することにしかありえない。
私たちが愛という自己の本質に戻ること以外に救いはない。
そしてそのことを受け入れるには、私たちが抱いている幻想が幻想であると認めなければならない。
当初潜在意識の受け皿であるかのような薄っぺらな顕在意識は、潜在意識の猛威を退けたとき、愛という本質とつながり真の理性となる。
そうなったとき、この世界の不条理や疑問や神秘はすべて消える。
ひとつも隠されたものはなく、ただ明らかな正しさがそこにある。
神秘のベールに隠されたかに見えていたものは単にカオスの森であり、神聖さとはひとつの不思議もない全一さだとわかる。
この世の謎を解いてこの世を良きものとしようと奔走してきた先人たちが、この世の善を支えてきた。でも彼らが痛烈に知ったのは己の無力さだっただろうと思う。カオスの森の中に光をもたらそうとしてきた英雄たち。
また戦うのをやめて、カオスに安住しようとする者。
けれどどれでもない答えがある。
その答えを私たちの誰もが本当は持っている。
あまりに単純すぎて信じられないような答えを。
それはもはや、ただ選びさえすればここにある。
選ぼうという意欲だけが必要とされる。
それほどの権利を私たちは与えられている。
それだけを分かち合いたいと心から思う。
感謝とともに
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