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[次回予告] 前ふり 大学病院を退局して都内の開業医に何年か勤務した。色々なタイプの先生に会うことができた。そうして4年たったころ、自分で病院をもてないものか?と考えはじめるようになった。 開業までの期間は個人差があり、1年以上かける人もい...
29/08/2025

[次回予告] 前ふり
 

大学病院を退局して都内の開業医に何年か勤務した。
色々なタイプの先生に会うことができた。そうして4年たったころ、自分で病院をもてないものか?と考えはじめるようになった。
 

開業までの期間は個人差があり、1年以上かける人もいれば2~3ヶ月、という人もいる。私は後者で、運が良かったのか行動を起こしてから5ヶ月で開業できた。といってもトントン拍子なわけがなく、色々な失態を越えての開業だった。今思えば笑い話になるが、当時は全々笑えない様が伺える、そんな開業日記があるので、ご紹介する。(次回より連載。お楽しみに!)
 
↓↓※画像はイメージです

[開業20周年]  医局日誌  Episode 35:そして感じた すでに大学病院5年目の私の周りに、同期の女性ドクターは一人もいなかった。外科という特殊性もあったと思うが。そして私もすでに30才を目の前にしていた。考えた。私は5年後、どう...
29/08/2025

[開業20周年] 医局日誌 Episode 35:そして感じた
 

すでに大学病院5年目の私の周りに、同期の女性ドクターは一人もいなかった。外科という特殊性もあったと思うが。そして私もすでに30才を目の前にしていた。考えた。私は5年後、どうしていたいのか?一つの答えがあった。自分の生活費は自分で稼いでこられていること。今、病院からは1円ももらっていない(無給)。
 

ここはすごく楽しくて、やりがいがあり、勉強にもなる環境だが、生活できない。退局することを考えた。そして次なる目標を同時に想像した。その時うっすら、本当にほんのうっすら自分の病院をもてたら・・、なんてことを考えた。新たな希望を胸にして、平成12年に第一口腔外科を退局した。
 

※2006年に掲載したドクターズコラムを再編集したものです。
※当時の表現を使用しているため、読みづらい部分があるかと思います。
↓↓研修医卒業記念パーティーにて。

[開業20周年]  医局日誌  Episode 34:送迎会 5年も大学病院にいると、何度か送別会にも出席する。たいてい送られる先生は教授から贈り物(餞別)をもらうのだが、ある助手の先生がいた。彼は唇顎口蓋裂を専門にがんばっていた先生だった...
22/08/2025

[開業20周年] 医局日誌 Episode 34:送迎会
 
5年も大学病院にいると、何度か送別会にも出席する。たいてい送られる先生は教授から贈り物(餞別)をもらうのだが、ある助手の先生がいた。彼は唇顎口蓋裂を専門にがんばっていた先生だった。色眼鏡をしていたのもあるが、一見すると怖モテの方のようにも見えた。
 

送別会の挨拶で「私は教授からこんなものをいただきました。万年筆です。これはもっと論文を書け!ということだったのでしょうか?」笑。「当初この話をいただいた時、助教授にならないなら、いかないぞ!とおどしておりました。」笑。
「がしかし、気づいてみると移動しても同じ助手という状態。」・・。「ひとえにこれは、私の論文数の不足にあります。」・・。「それを教授は言葉にせず、この万年筆で伝えてきました。」紳士だ。「なのでみなさん、次は私か?と思われている方は、是非ペーパー(論文)を書きまくって下さい。」笑。実はすごい内容をさらっといってしまうところがカッコいいと思った。よって会は終始和やかだった。論文数。。大学病院とはそういう所だ。すごくいい先生だった。私は好きだった。
 

お酒の好きな先生で、飲むとべらんめい調になるが、いやみのない先生だった。大学病院は会社とちがう。教授以外はポストに任期がついていて、それ以上は原則いれない。だから人の出入りが激しい。不思議なシステム。潤滑を良くするため、と言っていた。こうして少しづつなじみの顔、先生が消えていった。
 

※2006年に掲載したドクターズコラムを再編集したものです。
※当時の表現を使用しているため、読みづらい部分があるかと思います。
↓↓画像はイメージです。

[開業20周年]  医局日誌  Episode 33:鍋パーティー 今思えば、当時の先生方は、医局が大好きだったのだと思う。夜遅くまで決してお金にならない雑用や、学会、診療のまとめなど、夜遅くまで残ってやっていた。  しかし、お腹が空くのは...
25/07/2025

[開業20周年] 医局日誌 Episode 33:鍋パーティー
 

今思えば、当時の先生方は、医局が大好きだったのだと思う。夜遅くまで決してお金にならない雑用や、学会、診療のまとめなど、夜遅くまで残ってやっていた。


しかし、お腹が空くのは、誰でも同じ。そうなると、お鍋を持ち込みお椀まで用意して20時過ぎたころからなにやら鍋パーティー。白衣のまま、廊下にイス出して即席宴会場設置(医局は各々の机や本棚があり狭い)。缶ビール飲みながら、熱々お鍋を食べたりした。廊下で食べる鍋は、格別な味がした。
 

カメラを向けても、わりと必死に食べてる先生の多さから、いかに飢えていたかが想像出来る。
 

※2006年に掲載したドクターズコラムを再編集したものです。
※当時の表現を使用しているため、読みづらい部分があるかと思います。
↓↓医局の先生方と

[開業20周年]  医局日誌  Episode 32:お酒 医局に所属していた時は、医局旅行やらバーベキューやらよく参加させてもらった。特に医局旅行は以前にも書いたが。 医局員数90人がほぼ全て参加していたので、大所帯だった。普段めったにお...
13/07/2025

[開業20周年] 医局日誌 Episode 32:お酒
 

医局に所属していた時は、医局旅行やらバーベキューやらよく参加させてもらった。
特に医局旅行は以前にも書いたが。
 

医局員数90人がほぼ全て参加していたので、大所帯だった。普段めったにお話をしない先生や、他の研究室の先生方とも一緒に食事ができた。いやぁよく飲んだ。だいたい外科の先生方ってお酒が強い。
 

ロングオペで10時間以上続く場合は、感謝の意味も込めて、麻酔科の先生方にもお食事をお出しするのだが、出前のお寿司と、手術メンバーにはプラス瓶ビール1ケースがついた。だいたい5人のグループに長いオペでは教授や助教授がついたので6人位だが、残ビール数は2,3本。
 

そして必ず翌日夜には無くなった。あらゆる場面でよく飲んだ。
 

※2006年に掲載したドクターズコラムを再編集したものです。
※当時の表現を使用しているため、読みづらい部分があるかと思います。
↓↓皆でよくお酒を飲みました

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神宮前1-19-11 はらじゅくアッシュ7F-a 2
Shibuya-ku, Tokyo
150-0001

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電話番号

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